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New Essays Every Monday

  • 14:35

    授業の休憩時間。手の甲にボールペンで14:35と書いた。中途半端な時間で忘れる。スケジュールを調べた時も、予約した時も、支払い完了メールを開いた時にも見た数字なのに。

    授業が終わって大学を出る前、図書館に寄る。ツイッターで気になっていた本を借りる。カウンターで、2025/12/01と印刷されたレシートを本に挟んでもらう。そういえば、と思い出した本は新刊で図書館になかったので、構内の本屋に行く。ないだろうとは思っていたけど、やっぱりなかった。学食に行く人、キッチンカーに並ぶ人、手にカップ麺を持った人たちとすれ違って、キャンパスを出る。バスに乗ろうか地下鉄にしようか悩んでバスにしようと決めたあと、バス停からバスが出るのを見送る。気持ちを切り替えて地下鉄に乗る。ICカードの残額は669円。

    映画館に行く前に本屋へ向かう。目当てのものを手にして、そのままレジに行けないのはなぜだろう。そういえば、あ、あれも見ておこう、この店はあの棚がいいのよねえ、とかなんとか思いながら店内を巡る。最初に手に取った本からの連想で、別の本も買うことにする。結局3冊選んで、3058円。何時からだっけと手の甲を見る。14:35。やばい。まだごはん食べてないのに。急がなきゃ。

    コートを着なくてもよかった気温の日の午後に、歩道を駆ける。息切れしたタイミングで、ちょうどよく横断歩道の信号が赤になる。席に着いた時には少し汗をかいていた。

    『君と私』。2014年4月16日に韓国で起きた、セウォル号沈没事故の前日をモチーフにした作品。冒頭で、日時と、死亡者、行方不明者の数字が出る。予告で知ってはいたけれど、映画はここから始まって、実際はここで終わってしまったんだなと思う。

    私は4月20日生まれ。あの人たちから生まれたことが嫌なのに、毎年思い出さなければならない日。お祝いされてなんとも言えない気持ちになる日。感謝できなくて罪悪感が増す日。カレンダーや時計や電話番号で0420の並びを見るたびにヒヤッとした。2014年にセウォル号事件がショックだったことも、父の命日もこの数字が近いゆえに思い出す。春の海は冷たい。

    数年前、私は誕生日を変えた。戸籍や公的書類は変えられないけれど、それ以外はペンネームのように、3月26日生まれということにしている。毎年0420あたりで調子が悪くなる私に、夫が「今日爆誕しちゃったことにしよう」と言って「そうだそうだ」と決めた。元の0420と同じ星座なのがなんかいい。0326にはまだ慣れない。時計でこの並びを見てもドキッとしない。

    1435。始まる前は全然覚えられなかったのに、上映が終わったあと、忘れられなくなった。帰り道はすっかり暗くなっていて、月が出ていた。映画の月の反対側が欠けた、プリングルズみたいな色と形の月。私が修学旅行に持っていくなら絶対サワークリーム&オニオン味。

    手を洗うと、1435が少し薄くなった。今夜のクレンジングをためらう。

  • 学籍番号が私のじゃない。大学の教務課に申請した在籍証明書に間違いがあった。通常、証明書の申請には自販機みたいなものがあるのだけど、研修生にはない。研修生の数が、業務を自動化するコストに合わないんだろう。だからたぶん、これは私の前に申請した人の書類を上書きして作ったんだろう。私の情報はそのまま保存されるんだろう。・・・・・・次の人の証明書でまた同じミスが発生するかもしれない?と、ビジネスモードの私が出てくる。この仮説を含めてメールで問い合わせしたら、次の日に電話がかかってきた。「まったくその通りだったので、申し訳ない」「業務の見直しをする」「証明書は再発行するので取りに来てほしい」とのことだった。次の週、2限の授業が終わって窓口に向かう。お昼休み中で人が少ない。奥のホワイトボードに1日のスケジュールとタスクが書き出されているのが目に入る。用件を伝えると場の空気が少し張った。残っていた方々が小声で話し合い、あっちへ行き、こっちへ行き、おひとりが私のところへやって来た。「このたびは本当にお手数をおかけしました。教務課長もお詫びを申し上げようとお会いしたがっていたのですが、あいにく退席しており・・・・・・」と言われる。「菓子折りをいただけるなら待ちましょうか」と返したら、爆笑されて場がほぐれた。人間、ミスはあります。ありがとうございます。

    研修生として、初めての学期が終わった。指導教官に個別指導の時間をいただく。とても充実していたので、やはり何年か続けたい、計画を立てたいと申し出る。「次回のセッションで考えましょう」と言われる。15時半から始まったセッションを終えたのは18時過ぎで、外はすっかり暗くなっていた。オレンジの光がぽつぽつ灯るキャンパスに、風に揺れてしゃらしゃらと鳴る木々。金木犀の匂い。私はここに、あとどれくらいいられるだろう。先生と計画を立てるなら、制度の制約も知っておきたいと思い、翌朝、自宅から教務課に電話する。数年に渡ってこの制度を使い続けることは、指導教官の許可があれば、大学的には大丈夫なんでしょうか。たとえば5年くらい、毎年継続申請したとして、その長さゆえに、スパイかな?とか、変な学生だなとみなされて不合格になることはあるんでしょうか、と尋ねる。私は「利用限度があります」と言われる可能性を見越して緊張し、真面目に尋ねていたので、「はっはっはっ」と電話口で笑われて、つられて笑った。「学科は申し上げられませんが、コロナ前から使ってくださっている方は複数いらっしゃいますよ。だから大丈夫です。使い続けていただけるとうれしいです」と言われた。

    研修生は、正規生に比べると費用が抑えられる。他の大学ではもっと高額で、かつ聴講のみ、個別指導なし、というところが多いのに、この大学は違う。指導教官によっても大きく違うと思うけれども、私はたいへんのびのび、ふくふく栄養をいただき、頭をフル回転させて生きることができている。永遠に続くものはない。寒くなってぎゅっとこわばる体。ありがたみを噛みしめる奥歯。

  • 澄んだ水面が小刻みに揺れる。清潔に管理された匂い。足を浸して、プールのふちに座る。そういえば、「あなたはどう思いますか」と問われることが増えた。あなたはどんな人? あなたの考えはどんなもの? その背景には何があるの?

    大学で今学期取っているのは英詩の授業で、毎回アクティビティーシートといくつかの詩が配られる。詩をあらかじめ読み、アクティビティーシートにある7つほどの問いに自分の考えを書いておくのが宿題。英語でおこなわれる授業だから、英語でまとめておく。「あなたはこの詩の○○について、ポジティブ、ネガティブ、どちらの印象をもちましたか。それはなぜですか」「XXという単語は何を意味していると思いますか。その根拠は何ですか」

    オンラインのクリエイティブライティングの授業。説明しすぎの文章はよくないのだけど、私の文章は説明しなさすぎ、明示しなさすぎの傾向があり、先生を混乱させてしまいがちだ。「紺、あなたはこれで何を言いたかったの?」と問われて、あーまたやってしまったと猛省しつつ、書きたかったことをぽつぽつと話す。彼女はそれを受けて、「それはどういう意図なの?」「今言ってた△△という言葉について詳しく教えて」と問いかけてくれる。それでようやく、ああそうかと気づくことがある。自分の中に潜る、それを彼女が待つ、静かな時間。

    編み物教室には隔週の日曜日に行っている。他の曜日と違って生徒が来ず、いつも先生とマンツーマンだ。彼女はおしゃべりが好きなので、よく話しかけてくる。編むのが難しいパートにいるとき、私が「先生、ちょっと黙っててください。カウントが飛びます」とお願いすると、「えー、つまんない」とふざけた台詞が返ってくる。そして遅めの昼食やおやつを食べたり、編み物の本を読み始めたりする。他の曜日は数人の生徒がいて、なんだかんだ指導という名のおしゃべりが止まらないから、ほんとうにつまらなさそうだ。でも、私は編み物を習いに来ているのでこれでよい。単純な編み方のパートに入れば、気を緩められる。先生が待ってましたとばかりに話し始める。私は相づちしながら、編みながら、聴く。たまに、流れで私も話す。すると、「え、あなたそのときどう思ったの?」などと問われる。手元を見ながら、考えて、答える。

    1回目の大学生時代、授業で当てられることはもちろんあった。だけど正解を言わなきゃという気持ちが強くて、順番が終わると心底安心していた。会社でもそう。何かを問われるということは、往々にして指摘であり、プレッシャーを感じて緊張していた。たぶん私も変わったし、環境も変わった。心理的な安全を感じられる場所で、コンフォートゾーンから半身を出すように暮らしている。問われて初めて気づく切り口。あなたは何を考えてる? 話していいよ。あなたの世界を広げていい。

    息を止めて、温水プールを潜水するのが好きだ。泳ぎ切って、ゆっくりと浮いて、ぷはっと息を吐く。ゴーグルで視界が灰色のまま、また潜りに行く。クラゲもいない、サメもいないプールで、深く潜る。

  • 夫が風邪を引いた。一度引くとこじらせてしまいやすい人だ。

    10月のなかば、金曜日、週末の映画のチケットを買った。そのあと、ふたりとも喉が痛くなった。葛根湯とビタミンを摂り、安静にしておく。映画に行けるかしら、どうかしらと思っていたら、彼の風邪だけ悪化した。私だけ回復するのは悪いことをしているみたいでうしろめたい。

    もともと体温が高めの人なので、いつも寒くなるぎりぎりまで夏服を着ている。扇風機も回し続けている。そのせいじゃん。私は秋冬用のルームウェアをクローゼットから引っ張り出してきて彼に着せる。白いトレーナーを頭にぱふっとかぶせた時に、彼は「ぱふっ」と言った。おいおい、余裕だな。例年通りならこれから熱が上がるぞ。

    彼は病院に行くと気持ちが悪くなるくらい病院が嫌いなので、布団にくるまって過ごす。我が家では、ウイルスにモテモテの状態を「人気者」と呼ぶ。瞬く間に、どんどん人気者になっていく。はちみつに大根を浸して作ったシロップをお湯に溶かして飲ませる。おいしくなさそうなので私は飲んだことがない。おばあちゃんの知恵袋的によく効くらしく、彼には積極的に勧める。とても微妙な顔をしながら飲みきっていた。人として私より上。

    ポカリスエットの大きなペットボトルを買ってきたり、ほうれん草とエビと卵のおじやを作ったりして看病する。熱を測る。高い。声をかけても、頭を縦か横に動かすだけだ。ずっと観たかった映画だったけど、もうどうでもいい。早くよくなるように祈る。連休が明けて、平日が始まってもまだつらそうだった。横になりっぱなしの腰や背中をマッサージする。

    私が大学に行く日も、彼は会社を休むことにした。何を食べたいか聞いても返事がない。帰りにハンバーガー屋さんに寄れるけど、何もいらない?と聞く。ようやく「照り焼きチキンバーガー」と返ってきた。食べたいものが出てくるのはいい兆候。でもいつもはハンバーガーふたつとポテトを所望するので、本調子ではない。温かいうちに食べてもらおうと急いで帰って渡したら、はむはむと食べていた。ハンバーガーの白い包み紙に顔が隠れるのは、元気なときだろうがそうでなかろうがかわいい。

    次の日、食材の買い出しに行く。買ってきてほしいものを聞いてもリクエストがない。風邪ではないけれど、私も体調が悪くてだるだるしていた。栄養のありそうなものを買って帰った。ベッドに寝ている彼の顔をのぞきこみ、夕食のメニューを伝える。ねえ、ファミチキとか食べたくない?買ってこようか?と聞くと、彼は目をつぶったまま頭を横に振った。そっか、買ってきたんだけど食べないんだね、スパイシーなやつ、と言ったら、目がぱちっと開いて、輝いた。うそですと言ったら、しょんぼりしていた。回復は近い。

    熱が下がり、食欲も戻って来たころ。頭はどう?と聞いたら、彼は「いい」と言った。そうだね、きみはいつも頭いいよね。胸が苦しかったりしない?痛みがあるなら病院に行かないといけないんじゃないかなとたずねたら、両手で胸を押さえて「きゅん」と言った。おかえり。

  • 「じゃあ次はラブストーリーに取り組みましょう」

    クリエイティブライティングの先生とは、関係を築いている最中だ。海賊の話を英語で書いたら、半分くらいは自分らしかったけれど、半分はぎこちなく、言葉を使いこなせない不満を感じた。先生が “Show, don’t tell”(「説明するのではなく、見せる」という、創作の基本のひとつ)の話をしてくれたときに、「それ、たぶん日本語だとめっちゃやってる気がする」と言ったところ、「え!既に書いてあるものないの?読ませて!そこから始めましょう」と言われた。そこで「ふたりでごはんを」の英語バージョン、”MEALS FOR TWO”を書くことになったのだ。

    翻訳の初心者ではないし、オリジナルの作者なので、直訳はしない。でも説明しすぎはいやだ。日本語の空気感も残したい。そこで出した第1稿は、細かい英文法・単語のミスがいくつかと、「何を言ってるの?」「なぜ?」という大きめの指摘3つを受けて戻ってきた。”Show, don’t tell”には、「説明しない」も含まれる。だけど、説明しなさすぎるのはよろしくない。大きめの指摘は説明が足りないところだった。日本語の感覚だと、そこの加筆は説明しすぎのように思えた。でも加筆しないと伝わらないので加筆した。”Show, don’t tell”の感覚が少し違うのかもしれないなと、勉強になった。

    第2稿の修正はなく、「”Show, don’t tell”のエキスパートね。彼が食べられない理由について何も言ってないのがいい」と言われた。たしかにそこも”Show, don’t tell”。私の文章をいくつか読んでくれた彼女は、私の文章の”subtlety”を褒めてくれた。繊細さ、とらえにくさ、緻密さ、ほのかな感じ、なんとも言い難い感じといった訳がつく単語。自分の日本語の文章に対してそう思っていたので、英語でも伝わるものなんだなと、ちょっとばかしニュアンスが変わったとて残るんだなと、彼女の話を静かに聴いていた。

    「こんなラブストーリーを書けるなら、今度はこれをやりましょう」と言われて見せてもらったのが、New York Times(NYT)の人気コーナー “Tiny Love Stories”(ちっちゃなラブストーリー)だった。読者が書いた100語以内のラブストーリーがNYTに載る。あたりまえだけど、ラブストーリーといっても、”romantic”(恋愛に関する、性愛の)だけではない。サンプルで読んだ、”New Announcement, New Name, Still Ours”が印象的だった。

    New Announcement, New Name, Still Ours
    When you were born, we sent announcements — name, weight, date — engraved on thick white cards with pale pink stripes and polka dots. “It’s a girl,” we said. We were thrilled. Now, 16 years later, so much is new. The pink was wrong. The name was too. This time, we know. It’s a boy. There will be no pastel stationery. This time, we are telling everyone, face to face. He’s ours. — Maria Blackburn

    (拙訳)
    新しいおしらせ、新しい名前、変わらず私たちの子
    あなたが生まれたとき、私たちは名前、体重、誕生日をカードに印刷して送った。薄いピンクのストライプと水玉模様のついた厚めの白いカード。私たちは「女の子です」と書いた。わくわくしていた。16年経った今、何もかもが新しい。ピンクにしたのは間違っていた。名前もそう。今回はわかってる。男の子よ。パステルカラーの便箋は使わない。今回はみんなに直接会って伝える。彼は私たちの子なのって。―マリア・ブラックバーン 

    Tiny Love Storiesの創作教育用PDF:
    https://int.nyt.com/data/documenttools/teaching-with-tiny-love-stories-pdf/753c41721cde1b10/full.pdf
    Tiny Love Storiesの詳細や書き方など:
    https://www.nytimes.com/2021/02/08/learning/writing-narratives-with-tiny-love-stories.html

    ペットへの愛情も、物事への愛着も、たまに見かけるけど名前は知らない人へのささやかな心配りも、全部ラブストーリーになる。世界の広さに、私は頭がぱっかーんと開いた気持ちになった。これに取り組むの、とても楽しそう!

    先生は「紺が長いラブストーリーを書けるのはわかったわ。今度は短いやつね。Less is more(少なければ少ないほど効果は増すという定型句)」と言った。

    いつか購読したいと思っていたNew York Times。大学の電子ジャーナルで全部読めると知ったときのうれしさったら。検索したら、読み切れないほどの、たくさんのラブストーリーが出てきた。授業と個別指導とこの購読許可で、大学に支払った研修料のもとが十分に取れてしまうよ。

    今日このエッセイを書く前に、ひとつ、ちっちゃなラブストーリーを書いてみた。必要最低限の表現にしたのに、180語になってしまった。全部必要だと思っていたところから削る。かつおぶしみたいにうすく、うすく、少しずつ削る。私はいつも、観察者のような立場と距離感で、静かな文章を書いてしまう。よいところでもあり、悪いところでもあり。でも嫌いじゃない。冒険や実験はしてみたいが。まあ1作目だしと思い、いつものように落ち着けることにした。ちょうど100語。ロマンティックラブストーリーではないラブストーリーが書けた。

    来週までに、あと2~4作書く予定。100語が表現できるのはほんの少しのこと。ほんの少しのきらめきが、日常にあふれていて、何を切り取ろうか迷う。

©2025 川瀬紺 / Kon Kawase